染み染み染みる日本の心 「染め」の文化』

淡交社 1996年(四六判、全 262頁、本体1922円)。日本の染色文化を文化史論・比較文化論・現代美術論など、広範囲な視点で立体的に考察。第一章: 日本人と「染め」、第二章:「染め」の背景、第三章: 南太平洋から、第四章:「染め」の現在。装丁: 田村昭彦、出版助成: 財団法人鹿島美術財団。
出版社より発売中 


書評 BOOK REVIEW

これはおもしろい。文句なし。私もことばの問題が大好きだが、これにはビックリした。 心はどこにあるか。近代医学なら脳、西洋なら心臓、では日本では? 「古来「腹」だ」 エッ、なんで? 腹がたつ、腹におさめる、腹をよむ、腹黒い、腹がきまる、腹を割って話す……。なるほど、これなら、なぜサムライが腹を切ったかもわかる。首でも胸でもなく、腹を。痛いうえに、すぐ死ねないのに。 福本さんは、染色作家だが、文化人類学や民族芸術学も研究している。日本も、欧米も、パプアニューギニアも、上下はない。横一列だ。フィールドワークは超人的。“文化の乗り物”“文化の索引”のことばに、徹底してこだわって日本を考える。 では心に触れるには、どうするか。日本では、「しみじみと」がキーワードらしい。まず日本人は浴びるのが好きだ。雪や月あかり、花見や紅葉狩で花樹の精を、全身に浴びる。喝采や静寂も、「浴びて」、皮膚に感じて、「しみて」、心に深く感じる。芭蕉の「閑かさや岩にしみ入蝉の声」も同じ。貫くのではなく、「しみて」いくことで、「奥」の世界と一体化するのだという。 そしてこの「しみる」と「染める」が、じつは本来ほぼ同義語だったという。福本さんはここに、日本の染色のアイデンティティーと、可能性を見出す。「織り」中心の欧米の染織に対して、日本は「染め」中心。模様染めは、日本で特異的に発達した文化だという……。ンー……、どうも、説明するとかえって薄っぺらになってしまう。入墨、化粧、仮面から、現代美術まで、博覧強記のオモシロネタ満載だ。読んでもらった方が早い気がする。シンクロしすぎでしょうか。
左藤道信(東京芸術大学助教授) 紫明の藝術書紹介 『紫明』第10号 :110 2002年 

科学に裏打ちされた西欧近代が、1つの強力な文明を築いたことは疑いのない事実である。それは、科学の力によって自己を普遍化し、今日も最も強力な正義を主張しつづけていて、これを駆逐する新しい価値観は当分出現しそうにもない。著者はそれを十分承知のうえで、「染め」というささやかな素材を手がかりに、敢えて日本文化の深層に挑んだ。そのアプローチは多彩で、決して軽く読破できる体のものではないが、著者が性急なまでに列挙し、言及する事柄の1つ1つには、奇異な事柄はひとつもない。むしろ我々が知りすぎているほど知っているゆえに、かえってそれらの事柄に無関心になっているのである。指摘されるたびに驚き、かつ我々が羊に群れの中で過ごした時間などまったく無いこと、あり余る水と植物の中で、自然の色に染まりながら生きつづけてきた民族であることに気づかされるのである。ゆっくりと時間をかけて読味するべき1冊である。
加藤類子「福本繁樹著『染め』の文化染み染み染みる日本の心」『民族藝術』Vol.14 :196-197 1998年 (抜粋)

この本は若々しく多彩な書物である。面白い日本文化論が有り、丹念な文化人類学的調査報告が有り、先鋭な現代美術論が有る。その何処を採っても、布に気の毒だと思いながら溶ロウを施し、澄んだ濯ぎ水の中に布の瑞々しい発色を見て胸を踊らせる福本さんが居る。
新田博衞 本の紹介 福本繁樹『「染め」の文化』『河南論集』第3号 :118-120 1996年 (抜粋)

実に益するところの多い福本の論理展開は、今後持続的に受け継いで発展させていくことが重要であり、伸るか反るかという工芸的造形の現状を見るにつけ、痛感する次第である。
東京国立近代美術館主任研究員 金子賢治「現代美術・工芸史の中で〔福本繁樹著『染め』の文化〕を読む」『ファーベル』No80 :6-7 1996年 (抜粋)

単なる染色の世界だけでなく、今日的な工芸を考える上で看過できない問題にも触れている。
舟迫正(美術ジャーナリスト)「福本繁樹著〔『染め』の文化〕を読む」『KATACHI PAPER』1996年 (抜粋)

「染め」と日本人との特殊な関係を、すぐれた染色家でもある著者は、制作の内側からの微視的観点と、日本の諸文化や南太平洋のフィールド調査にもとづく外側からの巨視的観点とを組みあわせて考察し、さらに世界各地の染織国際展を中心に「染めの現在」を探る。新しい視点や独自な見解が随所に示され、そのことによって世界に冠たるわが国の染色文化と、日本人の美意識や心性が明らかにされた。
「こころの書」 木村重信が読む(美術史家)『朝日新聞』夕刊 1996年10月22日 (抜粋)

今後本書のような、制作者の、すなわち造形の素材・プロセスと真っ向から向き合う現場からの刺激的な論考が期待されるのではないだろうか。
佐藤賢司 書籍紹介『工作工芸』No.2 1996年 (抜粋)

本書は「染め」を手がかりに、日本文化の特質をさまざまな角度から再考察する。著者は染色家であり、南大平洋美術の研究者。幅広い知見と体験からの発想には、説得力がある。
アートフォーラム 6月 「本」『毎日新聞』1996年6月6日 (抜粋)

「染め」とは日本人にとって何なのかを解きあかをうとするのがこの書である。「染め」の専門的な解説にとどまることなく、ユニークな視点での日本文化論ともなっている。
美術新刊 『日本美術工芸』 1996年7月号 (抜粋)

現代美術の分野でも評価の高い染色家である著者が、“染織文化とは何か?”なる壮大なテーマを、日本的文化観を軸に、古今東西多様な状況をふまえて総合的に示す。特に作家の側から論じられるゆえ“布に染料が染み、染みる”という皮膚感覚が、一貫した本質として貫かれている。
ART BOOKS 気になる本 美術書 『月刊美術』 1996年8月号 (抜粋)

染色文化の始源から現在の染織芸術が孕む今日的な問題にまで及ぶ著者の真摯な考察は、極めて刺激的で染めに対する新しい目を開かせてくれる。ぜひ一読を勧めたい。
日本文化の特質に根ざした独自の「染め」文化を考察する〔『染め』の文化〕福本繁樹著 月刊『染織α』1996年10月号 (抜粋)

「染めもの」の周辺から染色文化の本質に迫ろうとする一冊。
INFORMATION 『GLASS & ART』No.15 1996年秋 (抜粋)

この本は「染め」と日本の心をテーマとして、文化を語ろうとした著者の労作であり、できるだけ平らかな文章で書きつづられていて読みやすい。
BOOK REVIEW 『三昧人』1996年11月号 (抜粋)

 

 


著書 目次

序にかえて

1

第一章 日本人と「染め」

第三章 南太平洋から

「しみ」と「そめ」

10

貨幣

135

浴びる・染みる 

13

幻の染色

141

岩にしみ入蝉の声 

17

タパ

148

「奥」と「染め」

22

マイシン族のタパ

155

サーフェスデザイン

30

装いの理由

161

虚実皮膜の言語 

36

衣服の起源

166

染み抜き文化  

40

模様染めの始源

172

シュポール/シュルファス 

47

布の発達 

179

第二章 「染め」の背景

第四章 「染め」の現在

取っ手 

52

焼きものと染めもの

ニセモノ 

58

1. 陶芸の「現在」

186

昔話 

64

2. メディウムの可能性

195

文化の索引

69

3. モダニズムと染色

201

出来(いでく)る

74

染織国際展

ジワジワ・ジワー

78

1. ローザンヌ、ウッジ、京都 1992年

206

ニュートンのインディゴ

84

2. テキスタイルアートの変容

214

色名 

89

3. 主催者が提示するもの

219

熟(な)れる

95

4. ローザンヌ、ウッジ 1995年

224

風合い

100

「染め」その日本的なものへの問い

235

105

ヨーロッパ染織の美

242

装身具と入墨

111

ジャパニーズ・スタジオ・クラフト

245

化粧

116

引用/参考文献、発表関連論文

251

造園 

122

後記

258

仮面

128

 


序にかえて (著書より転載)

 無意識のうちに覚える奇妙なよろこびが染めの仕事にある。それは染色工程の実際で体感するもので、作業を経験した者でなければわからないよろこびだろう。たとえば、仕上げの水洗で、布から未染着染料や不純物が洗い流されるのは快感である。すすぎの最後に、布から汚れが出てくるのが止まり、すすぎの水が澄んでいることに充実感がある。水のなかの布の濡れ色に、みずみずしく淑やかな発色をみる。「のし」をして、張りをとりもどした布に清新な息吹きを感じる。染めあげた布に触れ、表面に付着しているものが何もないことを確認するとうれしくなる。多様な染色効果にもかかわらず、完成作品が一枚の布に変わりがないことに満足感がある………。単なるモノづくりのたのしさではなく、皮膚感覚に根ざした触覚的なよろこびだ。よろこびが過大ではないかと自分自身を疑う。
 逆にいい知れぬ不快感もある。私のロウケツ染めの場合、防染剤のロウに対する不快感がおおきい。加熱した溶ロウの煙や臭いは好きになれない。道具に付着し、床にこぼれ、衣服を汚すロウは嫌なものだ。ロウの油脂が手などの皮膚につこうものなら、それを完全に洗い落とすまでイライラする。そんなに嫌っているロウだから、溶ロウを布に施すのを、布に対して気の毒にさえ思う。布を自分の皮膚の一部のように感じるのだろうか、一面ロウを押しつけられた布は、窮屈で、気持ち悪く、息苦しそうだ。同様に地入れ(布の下地処理)や糊あし(粘着性)や防染のための糊料も、布に施すのは気色いいものではない。しかし、実際の作業中にこのようなことに頓着していたら仕事にならず、この種の不快感や抵抗感を問題にすることもない。
 これらの作業工程にまぬがれ得ない不快感のゆえであろう、仕上げ段階でその不快の原因となるロウや糊などが洗い流されるのは、ことさら快感となる。このように作者をして触覚的なよろこびや不快感をいだかせるのは染色独特のものだろう。しかし、それはいったい何なのか。
 染色の素材は布と染料である。染色は、布の特性を損なわずに、布に着色、施文する必要から行うもので、染色の根拠は「布の特性を損なわない方法」にある。顔料を膠着剤で表面に付着させる方法を用いれば、布のしなやかさを損なうが、布の内部にしみ込んで固着する染料なら、布の風合いを変えず、摩擦に耐える彩色布を完成させることができる。しかし、一定の文様を施すには、布全体にひろがり浸透しようとする染料をコントロールするため、特殊な防染技法を用いねばならず、染料の固着処理も必要となる。染色をかさねると、透明な染料は減算混色となり、色彩の変更や配色が自由にできない。染色には、めんどうな制約や難点があり、専門の知識や技術を要する。
 染めあげた布を表装したり額装すると、一幅の屏風や額などの平面タブローとして完成する。一枚の布が「画面」と化したとき、布の意味は根底から変わる。それは、もはや肌に触れることを拒絶した布で、しなやかで、やわらかであるという布本来の物質性を離脱した、硬直した平面である。視覚イリュージョンのための画面であるだけなら、布ではなく、カンヴァスであろうと、紙や板や壁面であろうとたいした問題ではない。だとすれば、布でなければならない根拠はどうなるのだろう、完成にいたるまでの作者の充実感や満足感は何だったのかと思う。苦労して布の風合いを大切にしてきたのは何のためか、少なくともそれは直接肌に触れるという触覚に対するものだけではなかったはずだ。そうでなければ、まったく馬鹿げたナンセンスにこだわっていたことになる。
 染色で平面タブローを制作すると矛盾に出くわす。布にこだわるところからはじめて、最後に布の基本的な特性を無効にして仕上げるという矛盾である。布でなければならない染色からはじめて、とくに布でなくてもよい画面に仕上げる、では、どうして布でなければならなかったのかを問わねばならない。でもその明快な解答は聞いたことがなく、この種の疑問さえほとんど耳にしない。
 布の特異な触覚的感触がよい、だから染色をやるのだとの考えがあるだろう。布は肌に対してのみならず視覚的にもやさしい、「五感のすべては触覚に還元される」というように、われわれは布の触覚性を視る、いわゆる触覚視を働かせるのだと。あるいは、染料の透明な発色が美しい、繊維の内部からの発色に深い輝きがあるとも。また、染色技法の制約にもとづいた美の追求がおもしろい、やりなおしのきかない一発勝負の醍醐味があるとも。だがこれらは、好き嫌いの問題にすぎないではないか。好き勝手のドグマ的な主張では議論がはじまらない。
 しかし、確かな実感がある。なぜ染色による平面タブローなのか。なぜ染色でなければならないのか。布にこだわり、布の機能を離脱する平面タブローの矛盾した両義性のゆえに露光され、浮かびあがる染色の本義がある。循環論法や好き勝手のことをもち出して語ろうとするのではない。また「そこには何かがある」ととぼけたり、「神秘的だ」などとはぐらかすのは主義ではない。染色とは何なのか、染色の本義、アイデンティティとは何か。いささか大上段ではあるが、それをどこまで言葉にできるか試みてみたい。

 このような趣旨で、制作現場から「染め」への理解を訴えようと奮起したのは数年前のことである。しかし「染め」の本義をあきらかにするには、日本人とは何か、日本の文化とは何かという大問題を避けてとおることができなかった。「染め」の文化が日本文化の本性に深くかかわっているため、日本文化に普遍的な感性の解明を試みる必要があったからだ。また、西洋に模様染め文化が歴史的に欠落し、「染め」の文化は西洋美学の対象外にあった。だから西洋美学のコンテクストを再吟味する必要もあった。思いがけず五年間も執筆をつづけることになり、論考は「染め」をにらんだ文化論へと展開した。それらの原稿を集め、改めて全面的に加筆、再構成したのが本書である。
 本書は四章に分け、染色現場内側からの微視的観点と、外側からの巨視的観点、染色文化の始源と、その現代などと、それぞれ焦点を対比させた論考を構成した。すなわち第一章・日本人と「染め」では、染めの実作体験をふまえた触覚的感性から日本の美学を追求する。第二章・「染め」の背景では、身近な諸文化のあり方に、日本人の感性を掘りおこし、「染め」の文化に通底する日本文化の基層構造をみつめる。第三章・南太平洋からでは、南太平洋文化のフィールド調査にもとづく比較文化論的方法によって、模様染めの始源にせまる。展覧会評による第四章・「染め」の現在では、ヨーロッパなどの染織国際展の動勢を中心に、工芸や染色の現在をさぐる。どれだけ問題の核心にせまることができたかは、もとより自信はないが、世界に冠たる日本の染色文化へのこだわりを綴った文面は、京都に生まれた染色家が「染め」の文化にささげるささやかな讃歌ではある。


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