工芸教育研究会主催 セッション−大学と工芸
「装飾」をめぐって
パネリスト: 鶴岡真弓 (西洋美術史) 藪 亨(近代工芸・デザイン史) 山口道夫(デザイン) 進行: 柳原睦夫(陶芸) コーディネーター: 福本繁樹(染色)
壬生・武家屋敷・黒竹家にて、平成11年12月15日
●柳原 師走のお忙しいなかをお集まりいただきありがとうございます。今日のセッション会場は、趣向をこらして京都壬生の武家屋敷というおもしろい場所を設定しました。現代風の暖房完備はありませんので、しばらくご辛抱ねがいます。
今日の主題は「大学と工芸」です。でもあまりこれにこだわって、大学論だとか、大学の工芸学科をどうするかというような論議は望んでおりません。最終的にそういうところに収斂できればいいかなと思っています。『装飾する魂』(平凡社)を著された鶴岡先生に今回パネリストをお引受いただいております。私ども装飾に関する問題に日頃高い関心をもっていますので、とくに装飾とか工芸の問題にお話が向けば、たいへんけっこうだと思います。
順序ですが、冒頭に藪先生、そして山口先生、最後に鶴岡先生から15分ずつ、それぞれのお考えを述べていただいて、その後に自由にお話し合いをしていただく。そんなことでお願いいたします。
●藪 まさか京都の武家屋敷の座敷でこうして座って話をするとは思っていませんでしたので、ちょっと調子が出にくいのですが……。(笑)
私はモダン・デザインの問題に関心を抱いてまいりましたので、19世紀から今世紀にかけてのデザインとクラフトとのあいだの問題でキーワードになってくるような事柄を、お手元の図版を参照しながら報告させていただきます。
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藪亨(近代工芸・デザイン史)
このように、生産者であるとともに消費者でもあるというアマチュアの工芸への関心と関わり合いが、アーツ・アンド・クラフツ運動あたりから出てきております。今後とも社会における活動勢力として工芸が存続してゆく一つの重要な方向として、あるいは大学における工芸教育の一つの手がかりとして、そういった問題があるような気がしております。
●柳原 それでは、つぎに山口先生お願します。
●山口 私は実作者という立場で感じていることを話させていただきます。私は絵を描いていたのですが、デザインにも興味があり、デザインの世界に入りました。
今、藪先生がおっしゃったように、産業革命以降に「デザイン」という概念が生まれたのですが、日本では第二次世界大戦後にファッションの分野から「デザイン」という言葉が急激に普遍化し、「デザインとはなんぞや」と十分に考える暇もなく日本語化されました。その意味する概念を問題にするよりも早く一般に定着して、広範囲に使用されています。
デザインをやりながら「工芸」「美術」「デザイン」をどのようにとらえるか気にしておりましたが、自分の仕事との関係や、とくに教育の場との関係にあって、この言葉の意味する内容と、「工芸」「美術」「デザイン」の特性や、境界などが気になり、それについて考えることを余儀なくされました。とくに造形系の教育の場では、たいへん問題になることだと思います。しかし、「工芸」という言葉は、現在でも多くの解釈があり、オーソライズされた概念として確立されていないのではないかと思っています。
「工芸」と「クラフト」という言葉には、ニュアンスやイメージの違いが感じられます。たとえば、英語の「ハンディクラフト」、ドイツ語の「クンスト・ゲヴェルベ」、フランス語の「ル・アール・デコラシオン」という語意は、その国の歴史や文化の差異によって、日本の「工芸」の意味することと、ほんとうにおなじなのだろうかという疑問がある。もともと「工芸」という言葉自体が日本にはなかったし、中国語の「工芸」という語は、もっと広く技芸全般を指していたはずだし、どうもあいまいな部分が多いままにこれらの語が使われている。日本の場合、他の国と比較して事情が異なる部分が多いことが原因かも知れないが、芸術という認識も、工芸という認識もなく、工芸的ですばらしい芸術をつくってきた特殊なケースであると、私は思っています。
いずれにしても「工芸=ハンディクラフト」と理解したとしても、工芸と美術の違いはいったいなんなのか。どこが違うのだろうか。工芸という言葉を考える際、どうしても「用」という要素が出てくる。しかし現在、工芸をやっておられる方々は「用」から離れて美術を指向する場合が多いようです。いわゆる一品制作の鑑賞用の「作品」として、展覧会などに出品する芸術的な指向性が強くなっているのではないでしょうか。
「用」というところから遊離しようとする工芸があるのだとすると、工芸は、美術とどのように一線を画するのか、またどのような存在価値を見い出すのだろうか、素材や技術が違うだけで、芸術と理解してよいのか。私にとっては、あいまいで未整理な問題なのです。今後の混乱を避けるためにも、このことを明確にしてゆく必要があるのではないかと思っています。
「用と美」という問題について考えますと、用は機能と結びつき、機能をクリアーしたうえで、美・装飾が問題とされる。また一方、機能を満足させる「かたち」そのものが美であり、狭義の装飾・デコレーションは不必要なのだ、または、装飾が入り込むことができないようなものがいいという考え方もあります。
日本では、1960〜1970年代がとくにそうでしたが、デザインの世界で、材料の特性を機能に結びつけてでき上がる無駄のないフォルムを良しとし、デコラティブな要素はまったく不要であるといった考え方が、強くあった時期がありました。通産省の「Gマーク選定制度」による選定製品なども、この考え方に拍車をかけた一因であると思います。
同時に平行して、勝見勝さんらが「装飾の復権」ということも提唱している。装飾と人とのつながりは、装飾の発生や歴史をみても、とても重要なことは言うまでもありませんが、装飾と機能とのバランスと調和を、我々はどのように考え、モノを作ったらいいのかが問題になります。
ここでデザインと工芸について考えてみますと、先ほど藪先生がおっしゃったように、時代や産業の状況によって、デザインがさまざまなとらえ方をされてきた。工業生産による量産が可能となると、「安かろう、悪かろう」といったものが多く出てきて、この後モリスなどが中心になったアーツ・アンド・クラフツ運動がおこるわけですが、今また改めて違う角度からデザインや工芸のあり方を考えなくてはならない時期に来ていると思います。
たとえば、モノ作りと環境の関係です。持続可能な社会環境を目指すデザイン「サステナブル・デザイン」の考え方です。デザインのみでは解決できないことではありますが、できあがったモノが、人々の生活にどのような影響を与えるかといった面のみならず、生産過程との関連も含めて、もろもろの広範囲な影響を考えねばならない時期にきていると思います。
ここで、ハンディクラフトとデザインのあいだの、計画、制作の工程にある差異について考えてみたいと思います。ハンディクラフトでは、基本的に個人がすべてを行います。広義のデザイン計画をたて、材料を整え、制作し、モノを作ってゆくのですが、イメージした、よりよいかたちにするために、各工程で細かい調整が可能です。望ましい方向に対して微調整できるのがハンディクラフトの工程です。
蕎麦を打つことにたとえますと、蕎麦の実を選定し、粉に挽く段階で、もっとこうありたかった、こう挽きたかったということがあれば、それを次の捏ねる段階に調整、あやしができます。さらに伸し、切り、茹で、洗い、盛りつける段階で、望ましい蕎麦に仕上げるための微調整が、蕎麦を供するまで可能なのです。他人にはできない微調整が、作者本人にだけ可能なのが、ハンディクラフトの世界における一つの大きな特徴であると私は思います。
デザインにはこのようなことがありません。分化された多くの工業的設備があり、多人数が参加してモノをつくります。デザイナーのイメージを具現化するために、エンジニアらと技術面での相談などがあり、すでにデザインの段階で複数の参加がある場合も多々あります。計画に予測される問題点を事前に検討して、シュミレーションやテストを行い、いったん計画が決定されると途中の修正はまずできません。個人の仕事ではなく、複数の人々と設備を使ってのモノ作りでは、中途の修正は、一つの制作系列に混乱をきたしてしまいます。
ハンディクラフトとデザインの差は、「手業と工業」の差だとよく言われますが、「個と複数」、調整の「可・不可」の要素のほうが大きいのです。
最近では、ハイテクノロジカルなもののなかに手業をもち込むこともよくあり、それなりの成果もあげています。このようなケースはよくありましたが、現在のもっと発達した(?)工業生産設備で、手業の関係した新しいモノ作りも行われています。
私はテキスタイルの仕事が多いのですが、テキスタイルの場合も、最新のインダストリアルなテクノロジーのなかに手の仕事や加工を加えてゆく、人の手のみが可能な要素をとり入れることで新しいものを作ろうとしているのですが、このような動きは他の分野にもあり、工芸・ハンディクラフトとデザインのあり方を考える際にも、示唆するものがあるように思えます。
山口道夫(デザイン)
冒頭に「工芸と美術の差が分からない」というようなことを言いました。だが工芸・ハンディクラフトをやっている方のなかには、美術に対して卑下する気持ちの人もよく見受けられます。フランス17世紀の「芸術のための芸術」という芸術至上主義とか、18世紀ロマン主義思想などの影響か、純粋芸術はより崇高なものだという考え方、西欧型教育の弊害の一部だと考えますが、このような考えは根強くあり、それに対して工芸は用を伴うがゆえにレッサー・アートと言われたことが、日本の工芸やデザインをする一部の人に陰を落としているのではないでしょうか。自己の仕事のスタンスをしっかりもってもらいたいものだと思います。
また反面、染織、陶芸、金工、漆芸などには、日本は工芸の分野で世界に冠たる芸術をつくってきたという自負がある。にもかかわらず工芸と美術に対する考え方を明解にできず、一部の人ではありますが、ご都合主義的に、ある場合は高圧的に、ある場合は卑下するという、あえて言うと、技術はいいが意匠はチープな作品を作り、世界に冠たる歴史をもちだす。じつにあいまいなところがあるんじゃないかと感じています。
今日は「工芸と大学」という題目を与えられているのですが、芸術は教えられるか否かという問題があります。教えるという立場からすると、簡単にいって教えられない。ただ、芸術に関する思考、いわば、その人を支える哲学や、信条のような部分に刺激を与えたり、ある部分だけでも感じとってもらうことはできると思う。それを出発点にしてその人なりに勉強したりすることもできる。専門学校とは違う方法で技術を教えることもできると思います。
教える立場のモノ作りをする人が、いいと思って制作したモノ、それを作るときにどのように考えていたかを披瀝することによって、なんらかのインパクトや、考えるきっかけを学生が感じとればプラスで、聞いたときはピンとこなくても、ある時に「ああ、そうだったのか」と、はじめて分かるということもあるのではないか。
また美術と工芸の問題や、工芸とデザインの問題を、もうすこし突き詰めて考え、ある程度の共通項をもった見解がないと、大学における工芸教育のあり方に混乱をきたすのではないか。もちろん、個々の考え方の違いはたいせつにすべきですが、もうすこしはっきりさせないとまずいと私は考えています。
●鶴岡 今、藪先生と山口先生のお話をうかがったうえで、私のお話をさせていただきます。藪先生のほうは、歴史的なアーツ・アンド・クラフツ運動のなかで、アートとクラフトがどのように手を結んだらいいか、そしてクラフトが工業的産業社会のなかでどのように育ってゆくことができるのかということを、モリスを出発点にしてお話しいただいたと思います。山口先生は、工芸論における根本的な疑念を提言されて、これまで日本人は、たぶん「世界に冠たる」と胸を張ってもいいくらいのすばらしい工芸をつくってきたけれども、日本人が西洋のいろいろなものを受容しながらも、私たちの内なる、私たちが主体となった工芸論を立ち上げてこなかったんじゃないかという、鋭い批判も含んでお話しされたと思います。
私は大学で西洋美術史を学びました。ユーラシア大陸の極東世界にたまたまわれわれは住んでいるわけですが、そのユーラシアには中央アジアもあれば、その北西には、政治や植民地支配などでは、世界に冠たるものになったヨーロッパのキリスト教文明がありました。ユーラシア大陸の東端にある国に生まれた者として、そのような意味で、つまり「ユーラシア」のダイナミックな地続きの地平からいろいろな文明を見る意味でヨーロッパ史、最終的に西洋美術史を専攻したんだと思います。
私は西洋の人たちの異文化というものをきちんと勉強させていただいたうえで、向こう側からわれわれの文化を最終的には相対化できないかと考えています。若き日にはまだそこまでははっきりと考えていませんでしたが、今、40代なかばを越えて、いわゆる日本回帰ではなくて、山口先生がおっしゃったようにわれわれの美術を理論化できない日本というものが気になってきた気がします。西洋美術や西洋美学は、翻訳文化のかたちで、明治以来たくさん流入してきましたが、「日本の美的なものとはなにか」という理論を立ち上げなければ、西洋のことを勉強していてもだめだろうと。
ユーラシアの全体のなかで、私たちはたまたま極東にいるけれども、ヨーロッパあるいは中央アジアとの位置関係で見る視野をもつ。これから21世紀には日本人がほんとうに切実に美的価値観を日本語できちんと表してゆかないと、いつまでも西洋偏重では、グローバル・スタンダードにまたふたたび呑み込まれてゆくだろう。そういう危機感を、歳とともに抱いております。
そのような視点から私は西洋美術史をやったんですが、今の両先生の視点に入っている「工芸」というものが、西洋美術史でも、ある意味で「レッサー・アート」といわれて、そういう眼差しはまだ現在でも、山口先生がおっしゃったようにあると思います。そこで今日のこの座では「工芸」という言葉と「装飾」という言葉をほとんど同義の言葉として使わせていただき、ほんとうに大風呂敷で誇大妄想でありますが、若いときに思ったように、装飾や工芸美術をとおして人間の歴史を読み解く試みという、そういうことをやってみたいと思います。
装飾とか工芸は、美術の周縁であるどころか、人間の生と死というものを彩る重要な美術です。人間が誕生し、そして死んでゆく、弔われるという、誕生と葬礼という儀式は、装飾や工芸美術なしでは通過できない。
たとえば、人間の誕生を絵に描いたり、亡くなったデスマスクから彫刻を起こしたりという、純粋芸術の記述の仕方はある一方、誕生した子どもに産着を着せる、産湯を使うときのたらいの縁にどういう金属の輪っかがはめてあるかとか、たらいそのものの木がどんなすがすがしさをもっているかとか、そういう工芸性ですね。
それから、人間が弔いを受けるときに、これは宗教に関係なく祭壇というものを使う。葬礼芸術というものは装飾的なものや工芸的なものなしではできない。一人の人生というものを輝かしく、美しく──遺族とか残されたわれわれが生を見、死を見つめることによって生のありがたさを感じるとか、死というものの深みに思いをいたす、そういうことは工芸的なものがまわりに飾られることによってわれわれの「生きる」ということが縁取られている。とすれば、そういうところに工芸や装飾美術がすごく貢献していることは過たない事実で、これはどの民族でもそうだと思うんです。
そういう意味で、工芸とか装飾というのはむしろ、ちゃらちゃらした、軽い美術とか、なにかに使われる「用の美」とかいうように説明されるものではけっしてなくて、ひじょうに厳粛な美なんだという受けとめ方を古来日本人はもっていたように、私は思うんです。
しかしながら、ヨーロッパの近代では絵画・彫刻という純粋芸術と工芸・建築という応用芸術を分けた。私たちは明治以来、そういう概念を受容してしまった。純粋美術(絵画・彫刻)と、応用美術(工芸・建築)とがどのように違うのかということを、山口先生がおっしゃったように考えなくてはいけないという問いを、私たちは逆に突きつけられるわけですね。薩摩と長州と幕府が出展した最初のパリの万博のときには、日本人には書画・骨董の弁別はなかった。けれども、それ以降、絵画・彫刻と建築・工芸は違う区別があるということを日本人は通達された。
さて、そういう西洋の2区分に対してどうするかなんですが、私は自分なりにいちおうこういうように分けているんです。純粋芸術の絵画・彫刻は「視覚の美」、工芸・建築は「全感覚の美」である。
「視覚の美」というのは「触れない美」です。「触覚性」というものが“奪われている”のが絵画・彫刻です。ただもちろん、文盲とか半盲の子どもたちが、教育で、触れる美とか、「触れる彫刻」美術館があり、一般には絵画とか彫刻は触れないというルールの下に見る。目で見るアプローチだけが許されている。それが純粋芸術、絵画・彫刻の美術ですね。
それに対して、工芸・建築は見るだけに限定されないで、触る、匂いを嗅ぐ、できれば抱きしめるとかなんでも、つまり触るとか嗅ぐとか味わうとか、「全感覚」に訴えてゆく美術です。工芸は触ってもいいし、頭にきたら、夫婦げんかなんかで壊してもいい(笑)。工芸とはこういうように触覚を含んだ視覚性を要請します。しかし絵画は触ったり舐めたりはしないことになっており、視覚に限定されているわけです。私はそういうように区別しています。
もう一つの区別は、絵画・彫刻は「個の表現」を基本にしている。富士山を描きたい、大坂城を描きたいというとき、その人が感じた富士山であり、大坂城でいいんです。芸術家が最高に自由な創造力で描けばいい。けれども工芸や建築は、すくなくとも同時代の社会をみすえた「共同性の表現」ということを意識しなければならない美術だと思うわけです。
しかし最近は、山口先生がおっしゃったように、工芸作家でも、オブジェ作品を展覧会などに出品したとすると、「全感覚の美」を自ら拒否して、「視覚に限定する」ことになると思います。もちろん、オブジェを触ってもいいということになったら、それをもう一度ひねることになりますが、工芸の姿をしていながらオブジェとして出品するということは、せっかく工芸が「全感覚の美」というものをいただいているのに、触覚性なりを自ら拒否して、絵画とか彫刻の域に入ってゆくことになるわけですね。つまり、「見るだけにしてください。これは触ったり、着たりしてはいけません」ということになると思います。
このへんを、もう一つ具体的に言いますと、純粋芸術の絵画は最初から額縁に入ることが目的になっている。富士山の絵は絵画です。しかし友禅染めの着物に描かれている富士山は、おなじ絵でも工芸の美ですよね。あたりまえのことを言っているようですが、こういう根源的な違いから考えなければいけないと思っています。最初から額縁に入ることを目的にして、紙とかカンヴァスに描いた富士山は純粋芸術、着物や陶器や漆器というものに富士山が描かれているとすれば、これは工芸のなかに包まれている絵であって、額縁の中に描かれている絵とは違う。浮世絵というのはまた難しいですが、広重の東海道五十三次の富士山、これは触ったり、揉んだり、かじったりはできないので、これはつまり純粋な絵画芸術ですね。絵画芸術としての富士山。
「美的なもの」というのは西洋の言葉で「エステティーク」というわけですが、「美的なもの」はイコール「感覚的なもの」の意味であって、この二つの意味が「エステティーク」です。「感覚的なもの」はより「受動的なもの」。より人間の感覚に訴えて、圧倒的に震えさせてしまうとか、人生を変えさせてしまうとか、そういうすごいインパクトのあるものが「エステティーク」の意味です。
とすれば、絵画は額縁に入っているし、彫刻は台座の上に載っている。そこから先には入らないでくださいと。これは「感覚」ではなく、ある意味で「知性的なもの」を要求する美術ですよね。つまり、触れない、目で見て読みとって、そこからある主題を感じる。20世紀のカンディンスキーの絵でも、横棒とか縦棒とかのモンドリアンの絵でも、もちろん工芸ではないわけです。絵というのは、目でしっかり見て、そこから「概念」みたいなものを読みとってくださいというので、かなり知性的なものをわれわれに要求するんです。抽象絵画なんかが、主題を与えられないのに、なにが描いてあるんだろうなと、ひじょうに難しい感じがするのは、そういうことですね。絵はとにかくアンタッチャブルですよね。目で見て、ちゃんとその主題のなかにある知的なものをあなたが読み解きなさいと問いかけてきます。
けれども、工芸のほうは、たとえばこの部屋の襖(ふすま)とか、明かりの縁取りとか、欄間の装飾とか全部含めて、もちろん私たちは目で見ますし、実際には触ってはいけないでしょうし。けれども、私が言う意味の「全感覚」というのは、たとえこれを目で見ていても、私たちの身体に迫ってくるというか、触覚性を伴っているということなんですね。けっしてこれを握って触ったり、舐めたりしなくても、工芸はその触覚性を私たちに“呼び起こしてくれる”。そういうものを伴っているのが「工芸」だと思います。
要するに純粋芸術は、ちょっと高みに置いて、われわれがそれを読みとる。だけど、工芸のほうは、私たちの「全感覚」がまわりだすようなものを要求してくる。視覚だけで感じなさいとは言えませんね。着物なんてまさに自分の肌にまとって、全感覚で受けとめる。着物や染織というのは、肌にまとって、それを喜ぶものだと思いますから、最もそうした要素をもっていると思います。
襖を例に言えば、襖には絵が描かれているけれども、私たちは絵を見るだけではない。襖は、私たちの身体と全感覚的に対峙して一つの空間にある建具である。だから襖に描かれている絵を純粋芸術だといって、それだけとり出すわけにはいかない。極言すれば、屏風とか襖とか畳の縁の装飾などを含めて、日本の美術というのは、すべてが応用芸術であって、そのなかに純粋芸術が包み込まれているんじゃないか。つまり、襖という建具が私たちの身体と交流して、そのなかに花鳥風月が描かれている。図で説明すると、応用芸術の輪があって、そのなかに純粋芸術の輪が入っているような、日本美術にはそんなすばらしさがあるように思います。
鶴岡真弓(西洋美術史)
私が装飾論を考えるときに、絵画とか彫刻とか、純粋芸術を自分のなかで規定しないと工芸や建築というものが規定できないので、いつもそのようなかたちで比較してきました。どこがいったい違うのかを考察する、とりあえずそのような区別、つまり日本のなかでは「応用芸術のなかに純粋芸術が包まれている」。そういう美というものが、われわれ日本人にあるのではないか。そういうものを提言させていただきたいと思います。
●柳原 お三方からご発言がありました。藪先生からは、19世紀末から20世紀までのデザインやハンディクラフトの歴史的な流れといったもの。山口先生からは、いろいろとご提案や問題提起がありまして、言葉の概念そのものがあいまいなままに、現実として大学のなかにも混乱を生んでゆくというようなこと。鶴岡先生からそのことについて、かなり明確に「純粋美術」と「工芸」の違いなど、ひじょうに興味深い問題についてお話いただきました。
工芸というものを「全感覚の美」と鶴岡先生はご規定になりました。私は「その工芸の美こそ装飾である」というように、先生は規定されているのではないかという印象をもちながら聞いておりました。「誕生と死」という問題をとり上げられて、人間が人間を認識するうえで、装飾や工芸美術は避けて通ることができないと言われました。西洋でいいますと、実態を知るうえで哲学があるわけです。だけど、私どもはむしろ触覚的なもの、全感覚的なものでそれを認識してゆく、工芸としてそれを認識してゆく、装飾としてそれを認識するのではないかというように、私が先生のお話を勝手に解釈いたしますと、芝居でいいますと装飾が主役で、装飾こそが実態を認識する役割をもっているのではないかと、私はそういうように理解させていただきました。もし間違っていれば、また教えていただきたいんです。
それで、さらにご発言いただきたいのですが、藪先生、両先生のお話をお聞きになったうえで、先生のご意見いただけますか。
●藪 美術、工芸、デザインの領域に関する問題が今日の話のなかで出てまいりました。美術も工芸もデザインの場合も、19世紀と20世紀でずいぶん状況が違います。そういうところで注目したいのは、やはり工芸における装飾の問題であると思われます。結局、装飾の問題は、モダン・アートの場合もモダン・デザインの場合も過去の遺物として排除されてきたことの裏返しがこのあたりで出てきているような気がいたします。
とくに工芸と装飾ということで、装飾の場合は、この会場のこういう部屋の場合もそうですが、歴史的な重みとか、われわれが抱えている自然とのあいだの対決とか、そういう関わり合いが出てきているような気がします。歴史と自然ということになると、どうしてもヨーロッパの場合と日本の場合でずいぶん違うとらえ方がありますので、そこらあたりで日本の工芸と西欧のクラフトとの違いをもう一度読みこんでゆく必要があるのではなかろうかと、最近考えております。
●柳原 鶴岡先生のご発言で概念的にかなり明快な規定が出てきたと思います。それをふまえて、私がとくにおもしろかったのは、視覚的に訴える額縁のなかの富士山と、着物のなかに描かれた富士山、そういう問題を私たちはこれまでどのように受けとめてきたのか。山口先生、なにかお気づきのことがありましたらご発言ください。
●山口 先ほどの鶴岡先生がお話しになった工芸は「全感覚の美」に対して、純粋芸術は「視覚的な、知性を要求する美」という明快なお話を、私は「ああ、なるほど」と感じ入って聞かせていただきました。
話がすこしそれますが、自然との関わり、自然観ということに関して、日本と西洋とを比較すると、そうとう違いがある。日本の場合でも、自然の認識の仕方や、もののとらえ方にも、いろいろな時代的な変遷があったと思う。古くは仏教伝来以前と以降では違いができただろうし、仏教思想が枝分かれして、一般大衆に浸透してゆくと、また違うとらえ方がでてきたと思うが、底流に変わらないものがあったと思っている。
日本の四季の区分は、なだらかな、不明解な移り変わりであって、ヨーロッパのようにはっきりしていない。風土が培った感覚こそが、あまり変わることなく続いてきたあり方ではないか。日本の環境で培われてきた、微妙な自然観が、大きなものとか、きれいなものに対する、プリミティブなかたちでの畏怖心が、信仰的なものになり、アニミズム感覚でとらえていた日本人の自然観や自然観察眼は、今でも私たちのなかにあると思います。それが日本の美、とくに工芸のモチーフとなり、花鳥風月、雪月花なども、そのような自然観察をベースとして生まれ、独特なかたちに昇華されたと思います。
これらの感覚を裏づける論理体系を探すと、日本には古くから多くの歌論が存在し「歌」が書き残されている。それらをひもといてゆくと、日本の自然観や美学を見い出すことができる。そこには、西洋文化の「ネーチャー」「ナチュラル」というもののとらえ方と、まったく違う考え方が浮かび上がってくるわけです。
たとえば「素」と「朴」に関しても、織りあがったままの白布以上に美しいものはない、伐りだしたままの木以上に美しいものはない、という考え方にも独自なものがあります。
明治初期に日本にきたフェノロサなどの西欧の識者は、いろいろな新しい見方やアングルで日本の芸術を世界に紹介したが、当時の日本の識者は、日本の造形の特色やよさを論理的に説明することができなかった。たとえば日本の芸術は「禅」の影響を大きく受けている、というようなことを言っているが、では「禅とはなにか」と聞かれ、「禅は禅である」としか言えなかった。それでは当時の人はなにも分かっていなかったかというと、そうではなくて、文化がまったく違う人達に対して、納得させる西欧的論理や的確な語彙をもっていなかったのだと思う。多分にファジーな要素を含んだ日本的な意志の疎通が通用しなかったのだと思う。このようなことは現在でもあり、自分の作品を第三者に納得ゆく説明をできる作者はすくない。だが、明快な論旨をもった表現が必要な場合もある。
先程、鶴岡先生がおっしゃったなかで、どう考えるべきなのかと疑問に思うことがあります。先生は人の誕生の際の産着や、産湯に使うたらいの例をあげられました。私の勝手な想像では、おそらく白い布地だと思われる産着、すがすがしい香りの白木のたらい、共に素材の特性を生かしたかたちをきちんと保って、それでいて目的を達していると思います。それから、江戸時代にできたと言われている割り箸なども同様で。割るという「儀式」からスタートし、使用後の終焉性を気にせずに廃棄することによって明確に示す。加飾されたもの、はっきりデコラティブなものと比較して、「素」に対する考え方に大きな違いがあると思います。そのへんを装飾との関係でどのようにとらえればいいのでしょうか。
われわれにとって、デコレーションとは──鶴岡先生がおっしゃっているような広い意味での装飾ではなくて、たんなるデコレーションと考えると、デコレーションとはいったいなんなのか。工芸にとってはずいぶん問題になることだろうと思っていますが、どうでしょうか。
●鶴岡 「装飾」については、NHK教育テレビの「人間大学」のテキストの第1章に書かせていただいたんですが、すくなくとも私の規定での装飾というのは、ネガティブな意味ではなくて、パワフルな意味で「寄生的なもの」、「パラサイト」なものという定義です。「寄生」というのはすごくパワフルな意味があります。
たとえばここに畳という本体がありまして、そこに縁飾りがある。今、山口先生がおっしゃったデコレーションという用語を使うと、そのデコレーションは不必要ではないけれども、本体だけでも、いちおうの機能は果たせると思うんです。畳自体でも、ひじょうに美的だと思います。
ところが人間というのは「装飾」というのを発想しますよね。「人間がなぜ装飾を欲するか」とか「欲望するか」という議論になると思うんですが、「装飾」がいい具合で実現した場合には、私たちは美的だと感じますね。この襖のところに銀かなにかの箔の文様があって、キッチュというような領域に踏み出したら、やはりやりすぎだとか、「ダサい」とか思うけれども、すばらしいデザイナーとか工芸家が、あるいはこの家のご主人が自分の空間を愛でてつくった場合には、やはりすばらしい「装飾」になり、私達は感動します。
「装飾」というものは、そのように本体に「寄生」しながらも、その本体をより良く生かしめて、私たちはより美的なインパクトを受けるわけです。畳本体の藁と縁飾りの絹との関係、さらに絹の上に桜かなにかの文様があるという、このように積み重なって、累乗化されてゆくその美、つまり美の累乗の最初の初発というところに「装飾」がある。
工芸というものは一つの実効性をもっている。だから見るだけでおさまらないで、触ったりするということも含めれば、ある実効性をもった本体のうえに「装飾」がついてゆくということで、やはり本体というものは前提としてあるべきだと思います。本体のないものになると、これはさっきから言っている、見るだけのオブジェとか絵画になりはててしまうと思います。
「装飾」はそういう意味で「美の累乗化」の第一歩といいますか、本体に対して寄生しなければならないけれども、それは従属的なものではなくて、そこに「美を重ねてゆく」。そういうところの最初のきっかけとしてあるようなものだと思います。結局は本体よりも目立つ。「ああ、この飾りの色はきれいですね」と言ったりすると、「装飾」は本体を乗り越えているといいますか、浸食している。ちょっと刺激的に、侵している、本体を食ってしまうという言い方もあるかもしれません。「装飾」というのは力強く本体に寄生し、美を増幅させてゆく、そういうものだと考えています。これが「装飾」の概念です。
素を生かすということでは、私は最終的には、生成りの着物で生(き)の部分を残すとか、割り箸ではないにしても生の、磨かれていない自然木みたいなものを生かすといっても、それは人間の構想力のなかに招かれて、デザイナーとか工芸家とかの人間が創造するものです。ですから、「素や生のものを生かす」ということに、すでにそこに加工性が加わっていると思うのです。つまり、だれも見ない川のうえを流れてゆくのは自然木だけど、いったんそれを人間が拾って、自分の作品といいますか、そのビジョンの眼差しのしたにそれを「素木」として提示した場合は、それは深い意味で加工されたもの、人間によってビジョン化された素とか生だと言えると思います。
●柳原 全感覚的なものという、鶴岡先生のご発言のなかで、私がたいへん気になっておりますのが触覚なんですが、それはかならずしも触ることでしか認められないものではないと思います。たとえば、私たちが欄間を見たり、襖を見るときには、すでに触覚を働かせている。すなわち触覚と視覚を一緒に働かせているという要素ですね。それが工芸や装飾の成り立ちにひじょうに関わりがあり、日本の工芸の特質は、どうもそのへんに解く鍵があるのではないかと思っています。
そうなってまいりますと、われわれはどうしてそういうような感覚をもち合わせた人間に育ってきたのかというような問題。それから、さらに深く触覚的に見る、目が触るように見るというその視覚性は普遍的なものだろうか、それとも特殊なものなのだろうか。あるいは、明治以来の美術教育ですと、それは西洋美術を理解するうえでは是正しなければならない欠点だとされてきました。西洋美術や西洋文化をわれわれが充分に理解できないのは、まさにその体質といいますか。今はそれから解き放たれて、むしろそれはそれでいいのではないか。私はそういう考え方で自分の仕事を進めているわけです。先生、もうすこしその触覚的な部分をお教えいただきたいのですが。
柳原睦夫(陶芸)
●鶴岡 じっさいに工芸を手がけている人間ではないので、そういう感覚を概念的に言うのはうしろめたいのですが、そういうものが世界の美術にどのようにあるかといったら、それはもちろん日本人だけのものではないと思うんです。「触覚を通過した視覚」というものを豊かにもっている民族というのは、たぶんお隣の朝鮮半島の方がたもそうです。一方、清朝の巨大な花器などを見ていると、すごく西洋的なかっちりしたもの、つまり触覚を拒絶するような不思議な工芸性をもったものもあります。
台湾や東南アジアでは、籠とかそれこそ自然素材を生かしたようなもので、日本の楽茶碗などは、たぶん東南アジアの籠のフォルムから来ているんだという研究をしている学芸員の方にお話をうかがいました。そういうような、籠とか、触覚するものをアジアの人たちはもっていると思いますし、アフリカであるとか、世界中にたくさんあると思うんですね。
なぜ「触覚を通過した視覚」ということを私が申しあげたかというと、現代の日本の工芸が、見る人に視覚だけを要求するようなものに転じていった歴史があるからです。全感覚的に感じるということは、もともとの工芸の命のようなもので、たとえば襖というのは、私たちが開け閉めしたり、身体のそばにあるという実感みたいなもので襖絵というものがある。ところが、それを美術大全集なんかだと、智積院の長谷川等伯の「楓図」を、その絵の部分だけを掲載するものだから、それがあたかもカンヴァスの額縁のなかにあるような「絵」として、われわれも教育上見せられているわけです。だから、それがもともとこういう空間のなかに生きていて、私たちの身体もその空間のなかにがあったんだということを忘れて見てしまう。
今日の会場のように、京都の武家屋敷に上がらせていただいたのは初めてなんですが、こういう空間のなかでこそ、日本人は触覚とかいろいろな感覚のセンサーを働かせて、すばらしい建具や工芸に囲まれて、身体的にそれを受けとめて、私たちの生や体が交渉して向き合い、人間と工芸の間にアクションとリアクションがある。そのことを忘れ去ってゆくと、工芸も額縁のなかに入っていってしまう。やはり工芸は感覚的なものに根ざしていると問いなおす必要を感じています。
●柳原 ひじょうによく理解できます。戦後の工芸で、機能性のない、純粋美術にちかいようなメッセージをもった、いわゆる彫刻的工芸といいますか、絵画的工芸といいますか、あるいは工芸的絵画というか、そういうものが出てきたということ。それはどういうことだったのか。歴史のいたずらであったのか。すこし回り道であったのか。あるいは、道を迷ったのだろうか。あるいは、出るべくして出てきたものなのか。それは次の時代にどういうような結果として発展してゆくのか、これから考えてゆく必要があると思います。
これは工芸の差別化に対する抵抗であって、工芸もアートである、美術のレベルのなかで工芸も認められるべきであるという考え方。アメリカではこうした考え方が支配的です。しかし、これはかなり単純な考え方だと思います。
オブジェというものが出てきたことに対して、今さかんに分析して、これを理論化しようというような動きも出ております。藪先生のお考えでは、歴史的な流れのなかでみると突然変異、いわゆる徒花としてああいう造形的なものが出てきて、やがては衰退してべつのかたちになるだろうというような、予感としてはどのようにお考えですか。
●藪 そうですね、西洋近代工芸の流れからみますと、たとえばアール・ヌーヴォーのころというのは、絵を描きながら工芸的なものも手がけてゆくという人たちが当初は主導権を握っています。アール・ヌーヴォーの芸術家・デザイナーの場合は、もともと画家とか彫刻家が工芸デザインを始めますので、製作技術というか、クラフトの能力が不足しており、クラフト・マンと共同して仕事をしてゆくということで、むしろデザイン的な方向に重点が置かれるところがあるわけです。その一方で、このころから工芸・デザイン・美術というように分かれてゆくという、制度上の教育システムがひずみをもたらしてくるようなところが感じられるんです。たとえば、デザインの教育体系のなかではいつのまにかクラフト的なものが排除されて、美術大学のほうへ押し出されてしまって、美術大学のほうでもまた押しやられてしまう。そういうこともオブジェ的なものが出てくる背景にあるのではないでしょうか。
また一方で、たとえばシュルレアリスムやダダイズムなんかの流れから出てくるオブジェというようなことを考えますと、工芸的な素材の問題や、日常生活空間との関わりが出てまいります。工芸が20世紀の美術の流れのなかにも底流として残っていて、そういうところで出てくるようにも思われます。

パネリスト:左より、山口道夫、薮 亨、鶴岡真弓、柳原睦夫
●柳原 今、私たちは武家屋敷の、この部屋、すなわち純日本間で話し合っていますが、かつて私たちの生活はこれが普通だったんで、この雰囲気は言ってみれば、ごく当たり前の感じのものなんですね。だけど、畳や襖、それからすこし寒い、暖房のよくきかないようなこういう部屋が、すでにわれわれには特殊なものになってしまった。そういう倒錯した、生活のなかでの宿命的な混乱があるわけです。これを混乱とみればノイローゼになりそうですが、われわれはこれをごく自然として受けとめているようなところがあるわけですね。それは、われわれがたくましくて、タフで、あるいはあいまいなことを平気で許容してゆく、そういうようなものだというところかもしれません。
そういう現実をふまえて、日本の工芸とか日本の文化をわれわれが語るときの混乱というのは、山口先生、かぎりなく修正をして明確なものにしうる可能性が先生はあると──これはひじょうに極端な言い方なんですが。(笑)私ももう残りがあまりありませんので、そういう同世代の者として、さてこれをどうするかというようなことなんですけれどね。
●山口 柳原先生、ものすごいことを聞いてきますね。(笑)どうなんでしょうか。という言葉しか出てきませんが……。ここが特殊な場であれ、普通の場であれ、今、私たちがここに身を置いていることは、ある種の快感なわけです。この部屋はこういうセッションを開催するようなかたちでつくられたものではないことは充分承知の上で、このような場に自然にいるのが不思議です。この部屋にはいろいろな「しきたり」があることも感じながら、この空間意識を共有している。快感はあっても、不快感はまったくないわけですね。
体験の有無にかかわらず、ここにいる私たちも、もっと若い方たちもおなじだと思いますが、ここに身を置いたときの気持ちのよさとか、落ち着くであろうことは、日本人共通の原体験的感覚として、すでに事前に分かっているのではないかという気がするんです。このような深層的、DNA的とでも言いますか、この気持ちよさのエッセンスをとり出し、新しいかたちに定着させることも可能ではないかという、途方もない気持ちにもなれます。ここにきた時から不思議な空間感覚を感じています。この部屋のなせる業でしょう。
こういう場とか気分を残すことの大切さも理解したうえで、ものづくりに関与する者としては、このような文化財を次の世代に引き渡すことよりも、自分の仕事に生かしてゆくことの方が大切であろうと考えます。
●柳原 鶴岡先生のご経歴を拝見していますと、ダブリンでご研究されています。日本の生活と、日本人であるということと、海外で生活された体験をとおして、鶴岡先生に伝統というものに対するお考えがあれば……。
●鶴岡 アイルランドにはキリスト教の聖書に施された装飾のすばらしい中世の装飾写本がたくさんあります。むしろ私はルーブル美術館にある、りっぱなルネサンスや印象派の絵画よりも、色彩とかかたちとか質感とかマティエールということに関しては、ヨーロッパの人たちも私たちとおなじように自然から恵まれた素材に人間のヴィジョンを託して、それを羊皮紙の上に一つひとつ記していることに近親感をおぼえました。そうしたビビッドな喜びみたいなものをいちばんじかに感じられるのは、まさに工芸性ということだったんです。日本に仏教が入ってきたころくらいから平行して、中世のアイルランドの修道院でそういう装飾写本というものがなされて黄金時代を画した、それをじかにみて研究することが私の目的だったんです。
ヨーロッパにキリスト教が始まるよりもずっと古い、今から2800
年以上まえに大陸にケルト民族というのがいまして、その人たちが金属のものをひじょうによくしまして、鉄器文化は一時期を画して、ずっとヨーロッパ中に拡がっていった。そういうケルト美術というものが背景にある。そういう美術の研究をやりましたので、今、先生がお話しになられたような伝統的で古い、その民族や国民の誇りとできるような美術がひじょうに息長く、中世以降も、いろいろと政治ではイギリスに植民地化されたりしても残っていた。アイルランドは小さな国でしたが、じっさいその誇りをもっていることは感じました。
ただし、美術もまた、植民地になったり政治に翻弄されたりして、誇りを失ったり、逆にいえば伝統みたいなものの語り方が政治的なものに引き上げられるような状態になったこともあります。たとえば、日本人が日本的なものをアピールするときに、西洋的なものに対して日本がどのようにあるかということをあざとく、つまり桜であるとか、藤娘であるとか、そういうものを慌てて言わなければいけない状況──西洋がそういう日本的なものを要求するので、われわれがまさに外国人になったかのような感じで日本を紹介することもありましたね。
このように純粋に「伝統的なもの」をアピールしてゆくのは、その時代時代の状況でいろいろな枷(かせ)があってなかなか難しい。アイルランドを例にとれば、イギリスから独立するときに、自分たちのアイデンティティとして「ケルト美術」があるといった。しかしそのアイデンティティということこそが、あざといというか、そういう場合もある。
つまり伝統は「純粋なもの」ではなくて、よくも悪くもその時代時代の人びとによってつくられてゆく。最近、イギリスでは、スコットランドとかアイルランドなどがケルト的なもので盛り上がってきたので、今度はイングランド人の逆襲ということが考古学上始まっています。スコットランドでケルトの英雄の映画『ブレーブ・ハート』なんかをつくりますと、そういうのは自分たちのアイデンティティの美とか歴史というものを、スコットランド人が「捏造」しているだけで、「伝統」ではないんだというように、イングランドの考古学者がある本の序文で言ったりしています。
伝統というのは、3
000年まえから今のこの瞬間まで純粋に地下水脈としてあるんじゃなくて、そのときどきの状況──危機感とかその逆の自由とかいうものを受けとめたその時どきの人びとが、その時どきの共同性のなかでつくりあげていったものでしょう。そのなかには捏造もあるかもしれない。だけど、それはその時どきの人が「こうだ」というように思ってつくったもので、その是非は後の時代に検証されればいい。「創造と捏造」というなかで伝統のアピールというか、提起というのがあるように思うんです。ケルト文化の人たちのたどってきた運命みたいなものは、そういう感じがします。
純粋な伝統というように信じこんで、その重みに潰れるよりは、今、私たちが思う伝統というものを提起してゆくのがいいんじゃないか。
100年まえだとこんな純粋さがあったのに、今のわれわれは不純だと感じるよりは、
100年まえの人、明治の日本人も伝統を“つくっていた”。「伝統」は、その時どきの時代の人たちがつくってゆくんじゃないかと思います。
「伝統」に対する敬意みたいなものはみんなもっているのですが、その敬意ばかりが肥大して、今、私たちが生きているという、私たちが今感じているものを殺してはいけない。喪失したらそれなりに、喪失したものとして、今の私たちの感覚を正直に言って、次の人たちに伝えてゆくことができればいいと思うんです。つまり、伝統の純粋さを疑うところから伝統をつくり出してゆく。ちょっと逆説めいていますが、そういうものをあちらで感じました。
●柳原 今、工芸活動、作家活動をしていて、混乱しているからこそ恵まれていると思うのです。戦争中のことを思いますと、ひじょうに伝統的であり、ナショナリズムと密着した、捏造された伝統がありました。現代の伝統というのも多分にその残滓によって支えられているところがあるかむ知れません。
この混乱した、あいまいでわけの分からない、アイデンティティを希薄にしてしまった今の日本人の状態、この変化を受け入れることも、私たちのとりうる唯一の伝統ではないかと。世の中はそんなことばかりなんですね。天皇制にしましても、自衛隊の問題にしましても、突き詰めて考えたら全部おかしいんじゃないかと思う。しかし、おかしいことのうえに私たちは生きている。その現実のなかに生きているわけですから、「伝統工芸」だとか、たとえば茶道なんかできわめてそういう面を強調するところは、私はすこしうさん臭いなという気がして仕方がないのですが、山口先生はその点ではどういうお考えですか。
●山口 柳原先生と鶴岡先生のお話を聞いていて、私もまったくそのとおりだと思います。私は「工芸特論」の講座のなかで、「日本造形の特質について」私論を書けと、始めの授業でレポートを書かせています。学生にとってはたいへんな課題だと思います。それを読んでみると、半分以上の学生が、「日本には日本独自のものはない」というようなことを書いています。しばらくしてから「自分が専攻している分野について」日本の造形の特徴を書けというと、継承するということはいかに意味のないことであるか、というようなことが多く書かれています。
このようなとらえ方を見て、伝統について思うのですが、伝統のなかには、各時代の要請であるとか、それこそ政治的なものが絡んだり、操作された狂信的な部分が見え隠れしたりし、周辺のシチュエーションの変化に影響されながらも、永らえてきた伝統というものは、その時代に生きた人々が、すくなくとも良しと思った部分の集積であり、悪しと感じた部分は削除されてきたと思えるのです。時代のいろいろなものをひっくるめてなんですが、いいと思ったものを軸として消化している。それが積み重なって移り変わりながら残ってゆくもの、それが伝統なのだと思います。「伝統工芸」については、その認定の仕方を見ても、いささかうさん臭いと思います。衰退が始まり、放置すると消滅するようなものを、主に擁護するような姿勢を、私はあまり好みません。
●柳原 藪先生、「デザイン」というようなカタカナ文化といいますか、外来語で規定される造形の理念と「伝統」というようなものを、どのように頭のなかでまとめてゆけばいいでしょうか。
●藪 そうですね、モダン・デザインの源流に出てくるモリスの場合がそうですが、宗教的な世界を彼自身離れてゆきながら、彼独自のデザインや伝統に対するとらえ方をうち出しております。たとえば、時間の移り変わりというか、時間性に対するとらまえ方がひじょうに工芸的というか、移りゆく時間性というものを一方向ではなくて、鶴岡先生の言う全感覚的な方向で、前も後ろもというような、ある意味で自由な時間性がそこに入ってきます。時間的なものを一方向にとらえてしまうとかえって伝統が途切れてしまうというようなことが、デザインの場合にもいえるのではないでしょうか。
●柳原 残り時間もすくなくなってきましたが、今日ご参加のみなさんと一緒にお話を進めるという時間にして、福本さんからもどうぞご発言ください。
●福本 今日、鶴岡先生に装飾についてぜひうかがいたいのは、ご著書に書いておられますが、日本では装飾というものがものすごく発達して、ヨーロッパ人が感心していますね。岡本太郎が「結局、日本美術でよいものは抽象と装飾だ」と言ったことが「発見」だと三島由紀夫が書いていたことを紹介しておられるのですが、一言で言えばなんなんでしょう。なぜ、この日本で装飾というものがヨーロッパ人が驚くほど、絶賛するほど発達したんでしょう。
●鶴岡 これは藪先生がご専門ですが、世紀末のパリにアール・ヌーヴォーの店を出したサミュエル・ビングが、『芸術の日本(ル・ジャポン・アルティスティック)』という、今から10年以上まえに日本のジャポニスムの関係の先生方でお訳しになった本がありますね。そのなかで語っているのが、フランス人のジャポニスムの見方ですが、私なりに言いますと、微細なもの、かそけきもの、千鳥の足の──酔っぱらいの千鳥足ではなくて、ほんとうの千鳥が砂州に足跡をつけてゆく、そういうものさえ日本人は認めて、それをデザインや工芸や図案といったもののなかに組み入れているすばらしさを語っています。
「微細なもの」とか「かそけきもの」というのは、もちろんヨーロッパのロココ時代のワトーの絵なんかをみてもありますし、ジャン・ジャック・ルソーが「自然に帰れ」と同時代の人や社会を批判して、人間の素朴状態といいますか、そういうものを18世紀のヨーロッパ人も見つめてはいます。けれども、それ以上に日本人は「微細なもの」「かそけきもの」を感じ、聞きとって、それをかたちにする才能がある、天才だと、ビングの雑誌には書かれているんですね。
ヨーロッパ人ももちろんそういうものを実現できる能力があると自負しておられるし、りっぱなデザイナーはそうだと思うんですが、ヨーロッパに入っていったかぎりでの日本の、和紙の上に刷られている浮世絵であるとか、江戸時代のエビとかセミとかトンボの、羽とか足とかうろことか、ああいう微細なものを細工、そういう小さき世界を感じれば感じるほど、そこに果敢に表現され駆使される日本人の観察眼や表現力を絶賛しています。西洋では壁紙にしても、ウィリアム・モリスの壁紙は重厚という感じですね。革ではないけれども、すごい迫力で迫ってくる。一方こういう障子の紙なんかのリファインされた繊細さは、向こうの人の胸をうつと思います。漆なんかも、漆が「ジャパン」と言われるように、漆は日本です。こういうものを重ね塗りしてゆくという、膜の芸術みたいな感じ。素材を生かしながら繊細なきわみをつける。ヴィルヘルム・ヴォリンガーが『抽象と感情移入』(邦訳・岩波文庫)を書いたときに、ヴォリンガーはドイツ人ですが、ドイツの森とか北方ヨーロッパのなかで抽象的なものが育ったのに対して、ヨーロッパの南のほうでは、地中海では光が燦々と降り注いで、そこには感情移入における具象美術が育った。環境が固有の美術をつくりだしたと言いました。
日本人がこういう自然環境のなかにいるということは大切なことですね。──イギリス人の先生が「日本にはチェンジがある」とおっしゃった。それは「変化」というように一つは言えるけれども、彼は「うつろいゆくもの」を見つめる心があるということを言いたかったみたいです。
「チェンジング」つまり「うつろい」ですね。その「うつろい」というのは、春夏秋冬と季節が四つあるということではなくて、春から夏、夏から秋、秋から冬へ、冬から早春へといううつろい。つまり、AとBじゃなくて、AとBのあいだのグレー・ゾーンというか、刻々に変化してゆく「うつろいのゾーンを見つめる能力」が日本人にはあると言ったように解釈したんです。
「うつろい」を見つめるということは、地と図の関係でいうと、図ばかりみてゆくということではなくて、むしろ地と図を弁別しないという態度です。それは日本の図案にたくさんあると思うんです。地と図で、図だけをきちんとみていって、それを理論化するのが西洋の一神教の文化・思考の一つのパターンだとすれば、われわれはとりあえず地と図を弁別しないというか、地と図ということさえ発想しないということが、もしかしたらあるかもしれない。
私は美学の専門家ではないのですが、以前雑誌『太陽』に連載した「装飾する魂」という原稿に、日本の文様のなかに、どういうヨーロッパとの視覚的な違いがみられるかを書いたんです。江戸時代の土佐光起(とさ・みつおき)という、土佐家の絵師のファミリーで『本朝画法大伝』が元禄3年に書かれています。このなかで、「余白」のことを「白紙」といっているんですが、こういうように言っているんですね。「白紙も模様の内なれば、心にてふさぐべし」。つまり、白紙という地は、日本人にとっては模様なんだと、一つの図なんだと。だから「白紙も模様のうち」であって、そこに「なにかがある」ように感じる心をもつという話なんです。
この伝でいけば、「うつろい」の感覚というのは、春夏秋冬の情景を和歌とか季語とかにして詠んで、一見「図」を置いているようにみえるんですが、そうではなくて、AからBへ、BからCへといううつろいの、刻々の部分をどれだけ繊細にとらまえられるかという感覚を表しているのですね。季節のうつろいゆく、ある程度温暖で寒さもあるような気候風土のなかに生まれ落ちた日本人が、そういうものを与えられているのは間違いないのではないか。イギリスなんかだと、どなたも感じることですが、夏と冬しかないんですね。すくなくとも日本のような春夏秋冬ではない。
「うつろい」への感覚というものを、私はまた「際(きわ)への感覚」といっているんです。国際関係の「際」は国と国との図の部分をみるんじゃなくて、その国と国との波うち際、際をみるということです。「際どい」という言葉もあります。「際もの」というと間違ったらそこから落ちますよということですが、そのぎりぎりのところで「チェンジング」「うつろい」というものを見つめられるのが、すくなくとも日本人の美というものを立ち上げている重要な部分だと思います。それを、さっきのサミュエル・ビングたちが編纂した『芸術の日本』では、「かわいいもの」とか「微細なもの」といっているんだけれども、それでもまだ西洋の人は図の部分を指摘しているにすぎないような感じがします。もう一歩踏み込んで、うつろうという部分をみてくれるとよいと思います。
「装飾」と「工芸」と「日本の美術」というものを、今日は一緒くたに言ってしまいましたが、むしろ装飾というより、お題の工芸ということで話させていただいて、装飾については今日の議論を契機にもっと自分なりに勉強させていただこうと思っています。それをどう伝えてゆくか。それを私なんかは言葉で伝えてゆけたらと思っているんですが、もっとすごいのは、つくっていらっしゃる美的作品で向こうの人に見せてゆくこと、それはほんとうに貴重なことだと思います。
●柳原 今の「うつろう」というようなことで、私も自分の仕事が陶芸ですから、悩みの連続みたいなものなんです。だけど、今はその悩みは誇りのようなものに変わりつつあります。これは年齢のため厚かましくなったのかもしれません。(笑)
どういことかというと、陶芸はひじょうにあいまいな造形なんですよ。先生と私がある器物をつくりますと、私のほうが先生よりも早く、じょうずにつくりますが、窯に入れまして、先生のもののほうがよく焼けるいい場所に置かれると、結果としては先生のものが火色がよくついて表面の表情が豊かになりいいんですよ。味わいがついて……。そうすると、私の30年の努力はなんだったかと。その偶然の美を、われわれは許容しているわけなんですよね。
それはヨーロッパではやはり許せない部分なんですね。だから、陶器がどんなにじたばたしても、ヨーロッパではマイナー芸術である。しかし、日本ではそこがおもしろくて、メジャーな場所に堂々と陶器が上がってきて、ひずんでいるようなへんなものがどんどん出てくるわけです。無作為と作為をあいまいにして、ときには偶然と失敗すら、焼き物の味として受け入れる。その感性、あるいは哲学ですね、造形理念、それはもう遺伝子のなかに組み込まれたものであると。福本さんと以前もお話しして、いったいわれわれはどこからそんなものにと、ずっとみてくると、焼き物でいいますと、どうやら縄文のときからすでにその兆しがあるわけですね。
それで、染織の方が今日は多いので、染織でもお尋ねしたいのですが、明確な図を染め物で描くことはたいへん困難であるし、おそらく不可能です。明確なものにちかい図は描けるわけですね。ようするに、布に染料を染ませますと、福本さんの本(『「染め」の文化』にもありますように、にじんで染料が走るわけですね。もう一つ、吸水性のある紙に自分のイメージを定着させる書道なんか、ヨーロッパ的な造形の概念ではどだいめちゃくちゃなことだと思うんです。墨を落とせば、さっと紙ににじみが走りますから。
だけどそこがいい、ということになってくる。いったいわれわれの造形の理念はどうなっているのかというと、じつは海を隔てた、いわゆるキリスト教的な文化といいますか、ヨーロッパの文化とはまったく違う、対極的なものをもっていたんだと。ただそれを、明治からだと思うんですが、いわゆるヨーロッパ的なものでみるということで、私たちがそっちのほうに歩み寄って、近づいていったときに、近づけば近づくほどわれわれのもっている本来のものはどうも邪魔になるんだと。単純な芸術教育はそれでどんどん切り捨てて、デッサンだ、デッサンだといって西洋絵画の基礎ばかり勉強したりしたんです。
今はまったくそうではなくて、工芸が、私たちもはっと思うほど重要視されている。焼き物がこんなに盛んになって、陶芸家が芸術家の仲間入りをしたというのも、まったく戦後の傾向です。そうしたら、陶芸家はひじょうに貧しかったかというと、昔は絵描きのほうが貧しかったんですね。陶工も絵描きもおなじように職人として、芸術家ではなしにものをつくる人間として、匠のような感じで、共存、共生していた。そういうような専門家集団を、ヨーロッパの「芸術」の概念で壁をつくって分離してしまった。そういうところで、もろもろの不思議さが出てくるのですが、本来的には私は日本人のもっている感性というのは、まさにうつろい、あるいは物と物との間合いの空白部分といいますか、それはおもしろいが、ものをつくるときには方向性を失ってつらいことも──これは私は正直に申しあげてたいへんにつらい。
●福本 そのとおりですね、制作者の視点からは、工芸と純粋美術の違いはまたぜんぜん違う思考コードで説明したくなってしまうんです。今おっしゃった「うつろい」というのは、制作のプロセスにもみてしまうんですね。制作工程でマテリアルがうつろう姿を見せつけてくるわけです。山口先生が微調整をするのがハンディクラフトじゃないかとおっしゃったのですが、制作現場で加工途上の素材が作者の意図に関わらず自律的な変容をとげて、そこに思いがけない魅力や自然の摂理といったものを見せる。そこから作者が即興的に造形の方向を探ろうとすると、当初にあった造形のコンセプトがあいまいになる。だいたい確固たるコンセプトがあって、デザインがはっきりしていれば、最初から完成予定図がしっかりしているはずなんだけど、とくに染め物とか焼き物には多いんですが、途中の微調整が微調整ではなくなることがあり、最初のデザインとかコンセプトまで疑われてしまうようなことになる。しかし、そういうところで日本がむしろ工芸の造形を豊かにしてきたのではないかと考えたいわけです、ものづくりの立場としては。山口先生、いかがでしょうね。ときには微調整ですませないところもあるのではないですか。
●山口 私が言った微調整には二つ意味があります。さきほど蕎麦の例を借りましたが、すこし説明不足でした。一つは福本先生がおっしゃったようなことを含めてなのですが、最初のコンセプトがどのようなものであったかは、本人以外には分からないわけで、魅力的な表情をもった偶発的なものも、作者が確認し定着できれば、それはそれでその人のものになるのだと思います。もう一つは、意識して細かい軌道修正ができるという意味での微調整。それはなぜかというと、制作段階でかならず待ち時間があるんですね。染色の場合、たとえば、ロウで防染をする。染料を引いて、乾くのを待つ。陶器の場合、陶土を轆轤からおろす。それを乾燥させる。窯に入れるまでの時間がある。その時間にうつろってゆく変化の確認と同時に、ここでほんとうはこうしたかったのだが、すこし違う方向に行った。次の段階でまたこちらに戻そう。また、意識的にそのまま行きましょうという決断もある。調整がないということはあり得ないと思います。
●柳原 私は、中川幸夫さんと出会ったからというわけでもないのですが、いろいろと複雑な気持ちでみているのは生け花なんです。あれこそ瞬間的に変わってゆくものなんです。つぼみが開いて、花となり開ききって落花する、そのうつろいを、ある一つの造形物として楽しむわけですよね。
ヨーロッパでももちろん生け花というのはあると思いますが、それはたんに花瓶にお花を入れて、花の美しさを楽しむということなんでしょう。だけど、日本の場合には、そこにもろもろの精神的なものも感じて生ける。
そうやって、つくるときにはある限界に挑みながら、時間の推移には抗しきれないというようなことを受け入れる。そういうものがわれわれの造形の特異性をかたちづくっている。それがうまく働けば特異性であるし、それが間違って働けば、あいまいな、わけの分からないものになる。へんにそれが伝統だとかなんとかいうものでねじ伏せられると、日本美の強引な押し売りみたいなものにもなる。
今日は先生方からお話いただいたこと、またこれでますますつらくなってゆくんですが、とくに工芸の問題で鶴岡先生からいただいた「全感覚的な」という言葉と、そのなかで「触覚的なもの」を包括してわれわれはものを見ているんだというようなことなんかを、またいずれかの機会に、何度でも蒸し返して……。(笑)
●福本 興味深い問題がたくさん出てきたんですが、残念ながら予定の時間もすぎております。先生方、今日はよいお話をありがとうございました。ほんとうに次の機会を考えたいですね。
●鶴岡 ぜひ……。今日は作品をつくっておられる先生として山口先生と柳原先生に代表で語っていただきました。つくってゆく過程には「行って」また「戻って」「待つ」時間があってということや、陶器を火にかけるとき、窯のなかの位置によって焼き上がり具合が熟練者とビギナーがまったく逆転してしまうというか、そういうようなことをほんとうに新鮮にお聞きしました。私は学生のときには土で、それこそ人形(ひとがた)みたいなものをつくっていたんですが、美大には行かないで、美術の文明論みたいなことを始めてしまったわけですが、それこそ全感覚的につくっておられる方がたのつぶやきのような、主張よりは実感のつぶやきみたいなものを読めたりお聞きできるチャンスがあると、すごく勉強させていただけるような気がいたします。またお聞きできれば幸せと思っております。
本稿は、『PORTFOLIO 采/綴
AYA/TOJI 大阪芸術大学 染織 1999-2000』に掲載された、工芸教育研究会主催セッション「大学と工芸」の記録である。平成11年12月15日に京都壬生の武家屋敷黒竹家にて開催したもので、当日厳粛な雰囲気ただよう座敷に16名の関係者が集まり「大学・工芸・装飾・教育・染織」をキーワードに興味深い討論が3時間余にわたって熱っぽく展開された。